日本一の気功師
かつて日本一の気功師と形容するに足る人物が兵庫県加古川市におられた。
といっても肩書きは気功師ではなく、京都大学医学部を卒業されたれっきとした医師である。
その名も「小田一」先生。
今日の私があるのは小田先生とその高弟であられた前田先生のお陰であるといっても過言ではない。
よって、最大限の敬意と感謝を込めて御二人の名をここに記させて頂く。
既に他界されているので今となっては小田一先生の名を知る者も少数かもしれないが、逆に言えばこの名を知らぬようでは気功治療家としてモグリであるともいえる。
気功治療を勉強すればするほど、今の時代においても必ず行き当たるところにおられる。
それくらいに偉大な存在である。
何でも幼少時代から数学の天才であったそうだが、天からの導きによって医学の道に進まれたのだろう。
そんな日本一の気功師でもあった小田先生の脂の乗り切った時期の診療を間近で見学することができたのは私にとって望外の幸せであった。
見学といっても決して表面的なものではなく、小田先生曰く、
「あなたが飽きるまでそこに居てよい」
とのことであったので、私は先生の言葉に甘えさせて頂き、朝早くJRの新快速に乗って加古川まで出向いては昼の休憩を挟んで日がな一日見学させて頂いたこともしばしばであった。
小田先生の整形外科クリニックはまさに門前市を成すの様相で、診察日は常に朝から晩まで患者が途切れることがなかった。
といってクリニック内での小田先生はあくまで西洋医である。
その診療風景は一般のそれと大して変わらず、私は目の前で一体何が起きているのか最初は全くわからなかった。
それでも熱心に通っていると、実は目の前でとんでもないことが起きているのだと理解できるようになってきた。
何と患者が先生の目の前の椅子に座っただけで邪気が勝手に払われているのだ。
その際、小田先生はごく簡潔な所作をされるのだが、それは病院という空間においてはいささか不思議な動きでもあり、この瞬間だけが西洋医から気功師へと変容される一瞬であった。
その頃の私はまだ邪気やオーラが見えなかったが、小田先生と同じ空間にいることによって私の能力が勝手に引き上げられ、その時だけは限定的に気の流れが読めるような状態へと覚醒していた。
これは圧倒的実力差がある者と同じ空間にいることによってしばしば起こる現象である。
イエス・キリストの傍らにいた弟子たちも勝手にレベルが引き上げられ、かなりのレベルの治療行為が可能であったと推察する。
各地で民衆の病を瞬時に治し、そのことがキリスト教の伝道を加速したのだろう。
私の指圧の仕事が忙しくなるにつれて加古川通いの頻度も減っていったが、仕方がないこととはいえ、今思えばとても馬鹿なことをしたものだと思う。
とことん見学させて頂いていれば、あの診療室でもっと別の景色が見られたかもしれないのに...
などと、この気持ちは後悔以外の何ものでもない。
小田一先生のご子息である小田伸悟医師が鍼灸気診研究会の講師をされているので、興味のある方は一度調べてみるといいだろう。
注意:私は小田一先生を気功師という側面でも捉えていたが、ご本人は特に気功師を自称されていたわけではないので、この点は誤解のないよう念のため記しておきます。