気功治療院白樺には、私がこの仕事をできなくなるまで先々ずっと治療を依頼して下さるであろう方々が多数おられる。

症状が治った後も心身の定期的なメンテナンスを依頼して下さるのだ。

とてもありがたいことだと心から感謝している。

私は治療前に必ず現在の状態を確認するようにしているが、もう何年も心身のメンテナンスを受けておられる方々は特に報告すべきことがなくなってくる。

そのような場合、高齢者であれば脳梗塞や心不全の予防として頭部や心臓の邪気を抜いたり、喫煙者であれば肺の邪気を抜いたり等々と、私としてはやることがいくらでもある。

しかしながら、それらは特に何かを治すわけでもないので、最初に症状を治した頃のように感謝されるということもない。

それでは治療家として物足りないだろうか?

そんなことはない。

私はそれでいいと思っている。

否、それこそが理想型であると思う。

中国の古典に次のような話がある。

ある村に三人の医家がいた。

一人はどんな病も大げさに治すので、その噂は国中に広がった。

一人はどんな病も静かに治すので、その噂は村中に広がった。

一人はどんな病も予め予防するので、誰も彼の評判を聞くことはない。

誰が最も理想的なのかは言うまでもない。

メディアやネット社会ということもあるのだろうが、今の世の中、あまりに大げさに治療する者が多過ぎる。

かくいう私とてこのように自分の治療院サイトを持っているのでその一人なのだろうが、私が行っている治療法や理念等々については細かく説明しても、やれ、あれを治したこれを治した、誰を治した彼を治した、等々はかなり控え目にしている。

ガンや難病を治したなどとやたらに誇示しないでも、有名人が来院しているなどと自慢しなくても、こうしてご縁がある方とはちゃんと繋がれるものだ。

依頼を受けた症状で感謝されているうちは治療家としてまだまだ。

これからも感謝されることなく、しかし私の方からは感謝しつつ、淡々粛々と日々の仕事をしていきたい。