気功師は鮨職人に似ている、というのは常々居酒屋などで話題する私の説である。
というのも...
鮨職人といえば客の前のカウンターこそが晴れ舞台であり、繊細かつ軽やかに握り上げるその技に我々は魅了される。
目の前に置かれたそれはもはや食べる芸術作品だ。
すぐにつまむのが惜しいくらいに美しい。
しばしの感嘆を経てその味わいを楽しむ。
「うまい!」という言葉さえ出ない。
ただただ頷くのみ。
それは鮨職人にとっても至福の時間に違いない。
けれども、すきやばし次郎の小野次郎さん曰く、そんな客とのひとときは鮨職人の仕事としては最後の最後、ちょっとしたご褒美程度のおまけでしかないと言う。
なぜなら、客に握る前の時点で仕事の9割方は終わっているから。
華麗に握る技などはあくまで鮨職人としての仕事の一部であって、本当に大切なのはむしろ仕入れや仕込みだそうだ。
この話をテレビで見たとき、「気功師と全く同じだな」と思ったものだ。
患者さんの前であれこれやるのは仕事としては最後の最後。
それが上手くいくかどうかは治療を始める前の時点で既に決まっている。
すなわち気功師という職業は自身のコンディション作りが極めて重要になる。
それでほぼ仕事の9割だ。
ただ単に健康であれば良いというものではない。
斎戒沐浴を行い身は清廉にして気力充実しつつも心は静か、そんな状態が最も望ましい。
もちろん私とて聖人君子ではないので、理想はあくまで理想だが、少なくとも仕事の直前までぼけっとテレビを見ているなどといったようなことはあり得ない。
朝は早起きして冷気を吸いつつ散歩、瞑想、感謝、神社へお参り等々、仕事の直前は自分で自分の気の治療をする。
やったことがないのでわからないが、もし私が直前まで爆睡し、寝ぼけまなこでいつもと同じ手順で治療を行ったところで全く効果は出ないと思われる。
そんなところが鮨職人に似ていると思うわけである。
よって、おのずと仕事とプライベートの境目が極めて曖昧になってくる。
私の場合、その日の治療を終えて神社にお参りに行くこともまた仕事の内だと言える。
普段の読書でさえ例え1mmでも今よりも治療レベルを上げようと読んでいる本がほとんどだ。
気が付けばいつの間にか仕事とプライベートが渾然一体となっていた。
とても幸せなことだと思う。
今少し加筆を。
臨時休診日がちょこちょこあるのは上記のような状態から一旦抜け出すためだ。
アイデアというのは得てしてリラックスしている状態のときに突然やってくる。
だから敢えて何もしない、何も考えない日を積極的に設けている。
そんな時にこそ全く新しいアイデアが閃く。
つい先月も温水プールをただただぼんやりと時間を忘れて歩いていたら「紙ホメオパシー療法」「紙漢方薬療法」という全く新しい治療法が突然頭に浮かんだ。
いても立ってもいられなくなったのでプールを飛び出していろいろ試してみたところ良好な結果が得られた。
早速治療に取り入れた次第。
そんなこんなで10年後には今とは全く違うスタイルで仕事をしていると思われる。
いつの日か今の治療を極めて幼稚と振り返る時が来るだろう。
そのように進化させてこそのプロだと思う。