2025年7月17日、親父が逝った。
そのわずか四日前、私は親父と一緒に淀川の堤防にブルーインパルスの展示飛行を見に行っていた。
要するに、それはあまりに突然の死だったわけである。
ならば私は深い悲しみと共にこのコラムを書いているのか?
否、全く違う。
心にぽっかりと穴が空き、とてつもない寂しさを感じている。
しかし、悲しくはない。
むしろ、
「さすがは俺の親父、見事な最期なり!」
と、どこか清々しさのような感情まで抱いている。
不謹慎だろうか?
以下を聞けば、決してそうは思わないはず。
先ずもって親父は91歳まで生きた。
死ぬ四日前には私と一緒に猛暑の中、淀川の堤防までテクテク歩いたのだから、歳の割に最期まで元気であった。
更には死の前夜、俺や家族と一緒に阪神タイガースを横目で見ながらスタミナ奴や回鍋肉などで晩酌を楽しみ、
「ああ美味しかった、先に寝るわ」
と床に着いた。
結局それが人生最後の言葉で、翌朝、俺の次に早起きの親父がなかなか起きてこないので様子を見に行ったら既に逝っていた、という最期である。
どれだけ大金積んでも誰も買えない、どこにも売っていない、願わくば私もかくありたいと誰もが羨む最期だといえる。
親父の死ということで私も最初は強烈なショックを受けた。
しかしながら、よくよく考えてみれば誰しもいつかは必ず訪れる瞬間でもあり、それが有終の美とも言える程に綺麗な最期であったので、私は半日経たない内に上記のような感情を抱き、そんな気持ちを正直に家族に話すと、
「ほんまやな!」
とみな笑顔になったものだ。
長生きした上で逝き方が綺麗だと、残された者は大きな寂しさの上にもどこか暖かい気分にさえなれるものだと実地に学んだ。
今の時期、道のド真ん中に蝉の死骸が転がっているのをよく見かけるが、私はそれを見てものの哀れを感じるのではなく、命を燃やし切った清々しさを覚える。
どこかそれに似た感情であるとも言える。
と、ここまで書いて私は別に親父の見事な逝き方を自慢したいのではない。
今回の死によって、私は親父から白樺気功の奥義を伝授されたのだと解釈した。
今私がこのような生業をしているのは親父の導きによるものであるということは既にこちらのコラムで紹介している。
それに加え、私の気功治療を最も多く受けたのが実は親父である。
親父にとっては知る由もないことだが、私は週に二回親父に対して遠隔気功治療を行っていた。
具体的に申せば、脳卒中や脳梗塞、ボケを予防するための頭部の邪気抜き、心筋梗塞などを予防するための心臓の邪気抜き、葉巻を嗜んでいるので気管や肺部の邪気抜き、などを長年に渡り週二日行っていた。
結果、ここまで綺麗な最期を迎えられたのは長年に渡る気功治療の効果によるものだと私は信じている。
よって私が親父の死を以て授けられた奥義は、
「息子よ、皆様にはくれぐれも俺のような最期を提供して差し上げろ。あれを治した、これを治した、などというのはまだまだ入り口に過ぎないのだぞ、おまえ」
つまりは、定期メンテナンスを申し込んで下さっている方々には施設に入ることなく自宅で長生きして頂いた上で綺麗な最期を迎えて頂く、それが白樺が目指すべき究極の目標であると最期に親父が身を以て教えてくれたのだと解釈した。
感謝しかない。
加えて、よくぞこんなに健康で立派な身体に産み育ててくれたと改めて深く感謝したい。
ありがとう、親父、お袋。
いつかまた会おう。
まるで依頼者の方が死ぬのが目標であると勘違いされても困るので、誤解のないよう念のため追記しておく。
人が死ぬのはもちろん悲しいことではあるし、避けられるのであれば先々可能な時まで延ばしたいと思うのは人として当然の感情である。
けれども、ある程度以上の年齢まで生きたのであれば、例えば脳梗塞によって重度の障害が残りながらかろうじて助かるよりも、そのまま逝った方が本人にとっても家族にとっても良いのではないか、というのが私の考えである。
もちろん最初は私同様に強烈な寂しさを感じるだろう。
けれども、よくよく考えてみれば十分長生きもしたし...ということである。
実際に父を亡くして一ヶ月と経たぬ私が言っているので、それは単なる推論ではなく現実の感覚だ。
家族に一切介護の負担を負わせることなく長生きして逝った父は見事な最期だったと思わずにはいられない。
追記
当コラムを読まれた多数の依頼者の方々からお悔やみの言葉を頂戴致しました。
改めて心より感謝申し上げます。
