プロ野球パ・リーグの観客動員数が昭和の時代に比べて桁違いに伸びたのは素晴らしいことである。
反面、悲惨と称しても間違いではなかった昭和パ・リーグのあの雰囲気、あの光景が懐かしくて仕方ない。
俺が初めてプロ野球の試合を球場で観たのは小学二年、大阪球場での南海ホークス対ロッテオリオンズだった。
親父は阪神タイガースのファンであったが、なぜ甲子園ではなく大阪球場に俺を連れて行ったのか、今となっては訊くすべもない。
いずれにせよ、球場で野球を観戦する楽しさを知った俺は当時のご多分に漏れずジャイアンツファンではあったものの、親父にねだって阪急ブレーブス子供会に入れてもらい、小学校も高学年になると一人、あるいは友達と連れだって西宮球場へ足繁く通ったりした。
俺の記憶では阪急ブレーブス子供会の年会費は確か1,500円で、その会員証を見せれば西宮球場で行われるシーズン全試合の内野席に無料で入場できた。
昨今のシーズンシート料金からすれば、破格というよりも試合数で割ればもはやタダ同然。
よって、子供心に「タダなのだから行かな損」という発想になったのも当然である。
西宮球場では時に看板選手の感謝デーがあって、福本デー、加藤デー、長池デーといった具合で、それに当たると選手サイン入りの球団帽子などがもらえた。
入場時にAからHまでのオレンジ色の抽選券がもらえるのだが、つまりは確率1/8で当たるわけで、これも破格なサービスであったと言えよう。
三回裏ブレーブスの攻撃が終わったところで当たりのアルファベットが場内アナウンスされるわけだが、外れようものなら後はテンションだだ下がりで試合を観ていたのを今でもはっきりと覚えている。
しかし、あの頃の阪急ブレーブスのナインは凄かったな。
福本、山田、長池、加藤、山口、マルカーノ...
そんなレジェンドたちが日本シリーズ以外は毎試合ガラガラの球場で真剣勝負をしていたのが今となってはとても信じられない。
親会社が変わってオリックス・ブルーウェイブになってからは愛着が薄れ、更にオリックス・バッファローズとなった現在ではたまに復刻ユニフォームを着たところでもはや別物。
ああ、我が永遠の阪急ブレーブス。
